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表紙にはこう書いてある「四国には、愛媛県と高知県しかなかった!?」。これだけで十分そそられた。正直、手にとって読むには十分すぎる動機だし、目的はそこにしかなかったといってもいい。
県や、市の統廃合にはいろいろ条件や理由があり、四国にも財政や、政変のようなものを理由に統廃合が繰り返された。淡路島が、徳島から兵庫に移ったのもこのたび重なる統廃合の中で起きたことだ。
こういった事例が日本各地であったそうだ。それも、昭和に入った後も、である。
もっと言えば、未だ、はっきり県境の定まってない所もある。現在も、だ。
そこには、いろいろ思惑や思い入れあってのことであり、そのために戦があったりした時期もあった。版籍奉還、廃藩置県の後、数百に一旦膨れ上がってから、今の47都道府県になるまでには一筋縄ではいかない事情が存在したのだ。その歴史を見ることは、同時にその他の日本史を見ることにもなる。日本史で習ったような事件がきっかけで所属が変化した県や、統廃合の際関わっていた人物が後に歴史に名を遺す事件に身を投じていたり、今まで学んだ歴史にまた一つ深みが出てくる。
改めて言うが、今もまだはっきりと所属の定まらない土地、線の引けない場所は存在する。境の変化している場所もある。今の状況は決して安定などしていないのだ。
この本で一番、個人的に、大事だと思うのは、国境の件に触れている章だ。「県境」ではないためさらっと紹介されているが、日本人としてさらっと流してはいけない事象だ。北方四島・竹島・尖閣諸島。これらは、日本の国土にもかかわらず、実情は外国と化している土地だ。県境はまだしも、国境は、日本人にとって、海にあるもの。はっきりと「ここから先は日本」と、示すものが見えない。そのせいか、あまりしっかり意識してないが、それが問題だと思う。ただの境界を示す線ではない。国の命運、経済政治の行方を左右し、自分たちの人生も変えてしまいかねない、それぐらい重要なものだと思う。幕末から明治にかけて、そしてそれ以降、県境を巡ってでも戦は起きている。この日本国内で。国内では道州制云々と話題になったことがあった。実際どうするかは別として、なぜ、こういう境になったのか、どうしてこの境を巡って問題になっているのか、この時期だからこそ考える必要があるのではないだろうか。
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日本史や世界史は、それぞれの範疇のそれぞれの国のみの歴史しかしない。それも、流れで学ばないため、ぶつ切りの内容を「暗記する」。
また、よく「横の歴史を学べ」と言われるが、実際なかなか難しい。どういう括りで、横の繋がりを捉えるかというのが難しい。

この本の面白い点は、人物を中心に据えて歴史を見ていることだ。日本史の人物と、世界史の人物を並べることによって、時代によってはただ同時代の人物であるというだけでない、歴史的重大事件の中心人物が並ぶページもあるのが面白い。
また、ただ無闇に人物を取り上げるのではなく、テーマを決めて、そのテーマに沿って人物を揃えているため、理解しやすい。

そういった工夫のため、詰め込み暗記でなく、理解納得のできる内容になっている。理由をちゃんと説明されると納得しやすいのは、何においても言えるが、歴史の場合のそれは、やはり一連の流れとして順序立てて説明する、ドミノ倒しのような連続性を見せることが一番的確だと思う。この本はそれが出来ている。そのためわかりやすい。

7時間で流れがつかめる、か否かは別として、あながち嘘でもないといえる一冊。特に歴史が嫌い、という人に一読してもらいたい。

両親、特に母親は、表現から敬語から結構細かい人だった。また、本を読めとよく言う人だった。そのため、どこか頭の端っこに、言葉遣いや、敬語の使い方、一つの物事をいろんな表現の仕方をしてみる、など気にする癖がついたし、本も、なるべくたくさん読もうという意識も付いた。
そのため、言葉や書物に関しての興味関心は高いし、フックも、そういったものに対して掛かりやすい。
そんな、性癖の流れで恒のごとく引っ掛かったのがこの本だ。

この本で取り上げられているものは、最低限の、敬語の使い方や日本語の正しい用法、メール時代の新しい正しい日本語、そして、嗜みとしての俳句、大人として読んでおくべき本、などが載っている。
本当にコンパクトにまとめられているので、ちょっと確認したい、とか手始めに何から始めればいいだろうというのには適していると思う。

とはいえ、そもそも、こういった内容なものに興味を持つ人と、本来読むべき対象とにはずれがあるかもしれない。もったいない。それくらい、便利でよい一冊。

まず、この本は、ただ単に日本万歳三唱の本ではないということと、著者のみの称賛で構成されていない、より客観性の高いものであることを断っておこうと思う。

今の日本で、日本の歴史を、自国の歴史を好意的にみている人がいくらいるだろう。特に明治以降の日本史を好意的に見る人がいるだろうか。

「日本は諸外国に迷惑をかけた」
「日本人はひどいことをした」
「日本は西洋に比べ劣っていた」

ただでさえ、謙虚であることを良しとする国民が、以上のような捉え方をするのはある意味自然かもしれない。最近、自国の文化の素晴らしさを再認識することが増えてきたものの、やはり歴史に関してはいまだ、いわゆる「自虐史観」である。
この本は、日本人以外の国の人間が日本について述べた文章を中心に、もっと自信を持つべきこと、改善すべきことをのべている。
この本は、東日本大震災を受けて出された本だそうだが、その際見せた日本人の態度と、2000年前の日本人の様子、それについて述べられた本を通して、日本人の変わらぬ精神性を指摘している。
なるほど、確かに時代によって変えていくべき部分もあるが、変えずに残していくべき点もあり、今矛盾として違和感として感じているものがそれである、ということそれらがすべてここに書かれている。
傲慢に偉そうにすべき、と言っているのでなく、謙虚かつ誇り高く自信を持って、生きていくべき、それが日本人にはできる、そう書いてある。
まだ、もっと知るべき、勉強すべきことはたくさんあるが、どう見られているかということを知る手段の一つとして読むのには悪くない本だ。

「13個のオレンジを3人の子供に平等に分けてください…」

えーっ?と頭を悩ましてしまいそうな問題。「まず4個ずつ分けて…」という発想は、必ずしも正解ではありません。


この本は、題名にもあるように、「ラテラルシンキング」を使って、「ずるい」と思えるようなことをしよう、という本。もちろん人を出し抜いてだまそうという本ではない。
そもそも「ラテラルシンキング」とは「水平思考」という意味で、よく「頭の体操」とか「レイトン教授」とかで目にすると思う。つまり、論理的思考のように、施行を深めて一つの答えにたどり着くのではなく、「あれも正解これも正解」と認めて、いろんな可能性を認める思考だ。
さっきの問題なら「ジュースにしてわける」という答え”も”正解となる。これが水平思考であり、ラテラルシンキングだ。
このほかにもいろいろな問題や、実際の事象を例に挙げて紹介されているが、もともとラテラルシンキング自体が「あらゆる可能性を認める」という立場であるため、強く断言している内容はほとんどない。それもあって、強くこの本の内容を、まさに「考え方の一つ」という風にしか受け取っていない。
しかし、というかまた、というべきか、著者は「ロジカルシンキングとラテラルシンキングのバランスを保つことが大事」と言っている。ラテラルシンキングは非常に志向の自由度があり面白いが、そればかりを重視しすぎると現実離れはなはだしくなる。適度に、思考の型を外して、自由に発想することは精神衛生的にも、社会的にもいい。それこそ「頭の体操」がてら、水平思考を行うのも必要かもしれない。

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プロフィール
HN:
徒然なる館長
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1986/05/09
職業:
大喜利見習い
趣味:
たましい大放出をやめないこと
自己紹介:
京都府民。よく「京都人」と言われるが、あれは「京都市(の一定区域内)に何世代も住んでいる京都市民」という意味であって、私がどこに住んでいようが「京都人」と呼ばれる日は無い。残念。
最近は、もはやマンガ読みな人になって、小説やら新書やらが読めてない。ぐわー。だから、このブログが消される危機に曝されたり結構愉快なことになってた今日この頃。もうちっと、ここで頑張らせていただきたかったり、いなかったり。(え
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